MEA 15日目 ディナゲストの内服にむけて

かかりつけ?の病院に、MEAの報告とディナゲストジェネリックを処方してもらうため

MEA15日目に行ってきました。

医師に(MEA)どうでした?みたいな事を聞かれたので、術直後ロピオン(痛み止め)を一度使ったきり痛みは全くない事や、手術自体楽だった事を先生に報告しました。

こんなに簡単で、過多月経が改善できるなら、もっと、こちらの中部地方でもMEAを取り入れてほしいものだとも伝えました。

今後は、もともとあるチョコレート嚢腫の悪化を防ぐためにディナゲストジェネリックであるジエノゲストを飲みたいと医師に伝え、MAX量である3ヶ月分を処方してもらいました。

MEAをする以前はディナゲストにより内服継続不可能ほどの不正出血が起こり、リュープリンに変更しました。

MEAで子宮内膜を焼き、ディナゲストの副作用である不正出血を軽減もしくは止めるためMEAを受けました。

効果がある事を望みます。

MEA 術後一週間が過ぎて

とくに術後一週間までは水溶性帯下の量も何も変わらず。

しかし、一週間過ぎた辺りから少し増えてきました。

といっても、シャーシャー出るわけではありません。

21センチか、23センチだったかな?のナプキンを一日に2回変えるくらいの量です。

 

 

MEA 術後4日目

変化あるものとすれば、水溶性帯下の色が変わったこと。

とても薄い黄色。

量は変わりない。

 

MEA 術後3日目

昨日あった、左卵巣あたりのチクチクした痛みはなく、MEA という手術を受けたという実感もない。

あるとすれば、水溶性帯下くらい。

色も桜色より薄い出血。

量は昨日と同じくらい。やや多めの少量。

このまま、子宮内感染や子宮留血症がおきませんように。

 

 

MEA (マイクロ波子宮内膜アブレーション)をうけました。手術日〜手術後2日目

子宮腺筋症で過多月経のわたしは、子宮全摘を選ばず、MEA を選択しました。

場所は大阪の病院です。

当日入院当日オペ、問題なければ翌日退院です。

ちょっと贅沢に、一泊二日の入院でも個室にしようかと思いましたが、後に文鳥さんのためにダイソンの扇風機を買いたいので、大部屋で節約しました。

オペは午後12時30分からスタートです。

こちらの病院は、オペが始まる前までは実際泊まる部屋ではなく、待機室?みたいな所で待たされます。

点滴を留置し、看護師さんと歩いてオペ室へ。

もちろん、付き添いで来た旦那も一緒に。

オペ室の前で、旦那とバイバイしオペ室の中へ。

建物が古いからレトロです。

色とか特に。わたしは嫌いではありません。

オペ室へ入るとオペ室ナースが色々チェックして下さります。

新人ナース?かと思われる看護師さんとベテランナース2人で。

オペ室の中へ入り電気が煌々と点いています。

眩しい✨

麻酔科の先生が枕元におられまず挨拶。

名前もしっかり名乗って下さいます。

全身麻酔(挿管)はこれで4回目のわたし。

10年程前の1回目は吐き気はするは、喉は痛いわ、全麻はもうこりごりといった感じでした。

それを伝えた所、2回目からは麻酔の苦痛は皆無です。

麻酔薬も、昔より改善されておりなるべく吐き気が起こらないように改良されているようです。

喉の痛みがあるかどうかは医者の腕によりますが…ね。

静脈から麻酔薬を入れられピリピリして、だんだん眠くなります。

はい、そこから意識は全くありません。

気づいた時はオペは終了してて目が覚めました。

目が覚めたと同時に、生理痛みたいな子宮の痛みがあり、早速痛み止めをお願いしました。わたしは生理痛の痛みには弱いのか限界まで我慢しません。

10がMAXだとしたら、5くらいですと聞かれてもないのに勝手に答え、ロピオン(ロキソニンの点滴版)を入れてもらいました。

ロピオン効くか心配でしたが、段々と効いてくるのが分かります。点滴でロピオンを落とし、無くなる頃には子宮の痛みはほぼゼロでした。17時頃に全ての管が外れました。

おしっこの管(尿バルーン)を抜くのが一番痛かった(><)

その後、自分でトイレに行きおしっこをしてみたら、尿道が?痛くてなかなかおしっこがでない!

尿道が腫れぼったいのか、膣が腫れぼったいのか分からないけど、初めてのトイレは痛くて、スッキリできませんでした。

現在7月で病院の中は空調が効いてますが、暑かったり、寒かったりを繰り返し…。夜中の3時か4時頃目が覚めて、2回のおしっこへ行きました。そしたら、痛みはなくスムーズにおしっこが出て安心♡

良かった。

初めの痛みは何だったんだ??

再びベッドに戻り寝ました。

こちらの病院は大部屋で8人部屋でした。22時が消灯らしく、それまではガヤガヤしておりとてもにぎやかです。消灯過ぎてからは静かでしたけど…。

しかし、お年寄の方が多く、看護師さんも若い方が多く大変そうな病棟です。

オペ日の夕食は、天ぷらでした。しかし、絶食してたからあまり食べたくなく、半分ほどで終了。

しかも、お椀の中が天つゆとは分からず、お吸い物かと思い飲んだら、天つゆだった!!

オェーです(><)

翌朝のメニューはパン、牛乳、かぼちゃサラダと、マンゴーフルーツ。

こちらは完食しました。

隣りのベットにはわたしと同じMEA をされた患者さんがみえました。

同じ目的で、入院手術された方がみえると、知らない方でも安心します。

年はわたしと同じ頃かな?と思われます。

無事に朝を迎え、朝食を食べ、先生の診察がありました。

昨日のおしっこする際の痛みを伝えました。

尿道が浮腫んでたかな??との事。

わたしもそうかもとは思ってましたが、過去に尿バルーンを何回も入れた時は何ともなかったから、原因不明です。

手技的なものなのか…。

そして、恐怖の診察。

わたしは、リュープリンを打って4回目ですが、明らかに膣や陰部が縮小していると思われます。

そして、経膣エコーを入れられ痛みました!

絶対、狭くなっている!!

先生も薬(リュープリン)が良く効いてるんやね、と言われましたが、子宮のみならず、偽閉経療法は女性生殖器全てを縮小していると思います。

先生が、女性ホルモン飲む?と聞かれ、

ディナゲストの事かと思いましたが、黄体ホルモンではなく、卵胞ホルモンの方。

卵胞ホルモン(エストロゲン)を投与すると、女性ホルモンが増え膣萎縮諸々が戻る目的でしょうが、わたしはチョコレート嚢腫があるため、エストロゲン系は飲みません!と伝えました。

先生も分かってるんだか、分かってないんだか…。 

色んな患者さんを診ていらっしゃるため、一人一人どんな事情か把握しきれない部分がありますよね。

だから、自分がしっかり病気の事を調べて医者の言うがままに治療を受けてはいけません。

自分の身体は自分で守るしかないのです。

先生の診察が終了し、抗生剤でも出るかと思いきや、何も処方されず、次は約3週間後の診察の予約をしました。 

会計を済ませ、新大阪から名古屋まで新幹線で一人帰りました。

MEA 後(当日〜手術後2日目)をまとめますと。

⚫︎痛みについて

手術直後から生理痛の様な痛みがあり、鎮痛剤ロピオンを点滴してもらう。その後から殆ど痛みはない。

⚫︎水溶性帯下

手術後、オムツがついていたが、薄い血性の水っぽいのが出る。トイレの際など立ち上がると、生理の時の出血みたいにたら〜と出るのが分かる。量はやや多めの中等量。夕方リハビリパンツに着替えた。

手術後1日目ほんの少し淡々血性のものが少し。

手術後2日目、手術後よりもなお薄い淡々血性の水っぽいのが少量。1日目よりやや多め。

⚫︎倦怠感

手術後は麻酔の影響もあり、日頃の寝不足もありぼーとしていて殆ど寝ていた。

手術1日目は、麻酔のせいかなんとなくふわ〜とするがひどくはない。

一人で新幹線に乗り自宅へ帰れた。帰宅後汗もかいていたので、シャワーを浴びる。家事はやりたくないが、仕方ないからやる。でも、あまり無理しない方がよい。

手術 2日目、特に痛みもだるさもなく、いつもと同じように体力も復活。仕事もいけるだろうが、わたしは大事をとって1週間は休みをとっている。

⚫︎気になること

手術2日目から左の卵巣あたり?が少し違和感、チクチクすることあり。

 

リュープリン注射も、今後打つことはとりあえずはない。

先月の6/12に4回目のリュープリンをうち、7/5にMEA を受けた。

その後の生理はいつくるのだろう。

先生は直ぐディナゲストを飲んで良いと言われていた。

しかし、大阪の病院はディナゲストジェネリックが置いてないらしく、処方されず。

置いてない事があるのだと思った。

名古屋の病院で処方してもらうしかない。

長くなったので、今日はここまで…。

 

 

髄膜腫と解って一年

去年の昼ごろ、突然のてんかん発作にて髄膜腫という病に罹っている事が解った。

本当に、それまで何の症状もなく過ごしていた。

てんかん発作にて呼吸停止したわたしは、たまたま近くにいた、夫の心臓マッサージで息を吹き返した。

さぞかし、夫はびっくりしたと思う。

さっきまで普通に過ごしてる姿を見ていたから。

また、てんかん発作時の様子は素人から見るととても怖い姿だと思う。

わたしは医療従事者のため、てんかん発作は見た事があるが、それでも全身性の発作は怖いですから。

あれから福島先生に手術をして頂き、今のところ再発はない。抗てんかん薬のイーケプラは毎日内服しているが、てんかん発作も今のところない。

てんかん発作は本当にごめんだ。

当の本人も発作時の記憶はあり物凄い恐怖が襲い、自分ではどうにもできないものだから。

てんかん発作を起こしてから、車には乗っていない。(というか、乗ってはいけない)

2年間発作が無ければ、また乗れる様になるが、あと1年…。待ちどうしい。

開頭手術後、幸い後遺症もなく以前と変わらない生活ができている。

再発とてんかん発作がこのまま起こらない事を切に願う。

シナモン文鳥 モナちゃんを失って

半年前のH28年10月29日、わたしの大事なシナモン文鳥のモナが、卵管脱のため急変した。

髄膜腫の手術を九州で受け、退院後もしばらく実家で通院をしており、約1カ月ぶりに10月26日に名古屋の自宅へ戻った。

その3日後にモナは、急変してしまった。

モナは常に過発情であったため、毎月無精卵を4〜5個は産んでいた。

多い月は10個以上も産んでいたことがあった。

カルシウムが追いつかず、軟卵もよく産むようになった。

わたしが帰ってきた日も、鳥籠の中には無精卵が一つあった。

モナは、卵を産む前は鳥籠の床にじっとしていることが多かったが、一旦産んでしまうと元気に戻るためあまり心配していなかった。

10月28日の夕方、鳥籠から出していつものように遊んだ。

翌朝6時30分頃、鳥籠にかけてあるカバーを外すと、顔を背中側に突っ込み毛を膨らませモナはじっとしていた。  

声をかけて指に乗せると、ピンクの濃い腸が出ていた。

わたしは慌てて、主人と病院に向かったが、その日は土曜日でどこの病院も、予約でいっぱいで診てもらえなかった。くやしくて、悲しくて、不安で、涙がたくさん出た。 

だれか、モナを助けて!って車の中で泣きまくった。

すがる思いで、予約でいっぱいの病院の先生にどこか診てくれるところはないかをたずねた。

名古屋市内ではない違う市の病院を教えてくださり、主人は仕事が抜けれなかったため、わたしは一人で電車で病院に向かった。約1時間ほどかかり病院に着いた。

初診だったが、モナの様子を診た院長は優先して診てくれた。

そこで、初めて卵管脱と聞いた。わたしは無知だったためそんな事も知らなかったのだ。

先生とスタッフは暴れるモナを保定し、濡らした綿棒で卵管を体内に戻してくれた。

しかし、また脱出する怖れがあるため、一針縫った。

痛かったね、モナ…。麻酔も無しに大きな針で縫ったんだから。

処置を終えて、わたしはひと安心したが涙がずっと止まらなかった。 

モナもあまり元気がない。

帰ったらしっかり保温して、今日はよく様子を見てて下さいと言われた。

急いで家に帰り、寒くないように保温に努めたが今思えば全然足らなかった。

家に帰っても、モナはエサを全く食べない。水はすこーしだけ飲むが、段々自力では飲もうとしない。わたしが、容器を顔の近くまで持っていくと、なんとか飲める状態だった。

夕方5時頃、全くエサを食べないため、処置してもらった病院に電話した。処置してくれた院長とは違う医師が話してくれたが、今、ショック状態なので、保温に努めて下さいと…。

わたしは、何もしてやれない事がくやしくて、不安で、声を掛ける事しかできなかった。

仕事に行っている主人に早く帰って来てと泣いて電話し、いつもより早く帰ってきてくれた。

モナに指を差し出すと、指に乗ってくれるが、その脚の弱々しい感触を今でも忘れられない。

元気なときの指に乗った重さとは全く違う。

手乗りの小鳥を飼った事がある人ならわかると思うが、指に止まった感触が飼い主にはわかる。元気な時は、ぴょんと乗ってくれる。

でも、モナにはそんな体力は無くなっていた。

片脚づつ、ゆっくり、弱々しく、体重も軽くなっていると分かった。

あまり、触ると体力が消耗してしまうため、鳥籠の外から、声をかけ様子をみていた。 

モナはわたしが声をかける度、わたしの方を見てくれた。

モナのその目は、涙で潤んでいるように見えた。お母さん…助けて…って。

日付が、10月30日に変わった。

わたしはモナの近くで寝ることにして布団を持ってきた。最後に見たモナの表情は少し元気に見えた。わたしは少しだけ安心してしまった。

あの時の顔が最後になるとは…。

きっと大丈夫、朝には元気になってるかも知れないと思った。そして私はモナの近くで寝てしまった。その時間がだいたい0時30分頃だった。少し寝て、パッと目が覚めた。

時間は夜中の3時。鳥籠の中を覗くと、変わり果てたモナの姿があった。床の下に横たわり、少し硬直したモナのからだ。既に亡くなっていた。

死後硬直が多少あったため、モナはわたしが寝たあと、じきに亡くなってしまったと思われる。

最後を看取ることもできず、安心して寝てしまった自分が、なんてバカだと思った。 

モナは、ひとり静かに亡くなってしまった。

できることなら、手の中で、わたしと主人で看取りたかった。 

ごめんね、モナ…。

ごめんねってしか言えなかった。

3時に主人を起こし、2人で泣いた。

モナのからだに布団をかけて、一緒に横になった。

ホームセンターで、鉢とお花を買って、モナのお墓を造った。

モナを失って、自分たちがなんて無知だったんだろうと思い知った。

モナの死を無駄にはしない。わたしは、今いる2羽の文鳥をもっともっと大切にすると約束した。

たった2歳しか生きれなかったモナ。

小さくて、かわいくて、愛しくて、大好きなモナ。

半年経ってやっと、ブログに書くことができた。モナが亡くなってしばらくは胸が空っぽだった。今でも、モナの事を思うと泣いてしまうけど、モナがいた事を忘れたくない。

だから、ブログにもモナの事を綴り、卵管脱への対策も今後書きたいと思う。 

小さくても、その存在はとても大きい。

子供がいないわたしたちには、子供と同じなのだ。あの子たちがいるから頑張れる。

モナとしろとぎん太に会えて本当に良かった。

ありがとう、モナ。