シナモン文鳥 モナちゃんを失って

半年前のH28年10月29日、わたしの大事なシナモン文鳥のモナが、卵管脱のため急変した。

髄膜腫の手術を九州で受け、退院後もしばらく実家で通院をしており、約1カ月ぶりに10月26日に名古屋の自宅へ戻った。

その3日後にモナは、急変してしまった。

モナは常に過発情であったため、毎月無精卵を4〜5個は産んでいた。

多い月は10個以上も産んでいたことがあった。

カルシウムが追いつかず、軟卵もよく産むようになった。

わたしが帰ってきた日も、鳥籠の中には無精卵が一つあった。

モナは、卵を産む前は鳥籠の床にじっとしていることが多かったが、一旦産んでしまうと元気に戻るためあまり心配していなかった。

10月28日の夕方、鳥籠から出していつものように遊んだ。

翌朝6時30分頃、鳥籠にかけてあるカバーを外すと、顔を背中側に突っ込み毛を膨らませモナはじっとしていた。  

声をかけて指に乗せると、ピンクの濃い腸が出ていた。

わたしは慌てて、主人と病院に向かったが、その日は土曜日でどこの病院も、予約でいっぱいで診てもらえなかった。くやしくて、悲しくて、不安で、涙がたくさん出た。 

だれか、モナを助けて!って車の中で泣きまくった。

すがる思いで、予約でいっぱいの病院の先生にどこか診てくれるところはないかをたずねた。

名古屋市内ではない違う市の病院を教えてくださり、主人は仕事が抜けれなかったため、わたしは一人で電車で病院に向かった。約1時間ほどかかり病院に着いた。

初診だったが、モナの様子を診た院長は優先して診てくれた。

そこで、初めて卵管脱と聞いた。わたしは無知だったためそんな事も知らなかったのだ。

先生とスタッフは暴れるモナを保定し、濡らした綿棒で卵管を体内に戻してくれた。

しかし、また脱出する怖れがあるため、一針縫った。

痛かったね、モナ…。麻酔も無しに大きな針で縫ったんだから。

処置を終えて、わたしはひと安心したが涙がずっと止まらなかった。 

モナもあまり元気がない。

帰ったらしっかり保温して、今日はよく様子を見てて下さいと言われた。

急いで家に帰り、寒くないように保温に努めたが今思えば全然足らなかった。

家に帰っても、モナはエサを全く食べない。水はすこーしだけ飲むが、段々自力では飲もうとしない。わたしが、容器を顔の近くまで持っていくと、なんとか飲める状態だった。

夕方5時頃、全くエサを食べないため、処置してもらった病院に電話した。処置してくれた院長とは違う医師が話してくれたが、今、ショック状態なので、保温に努めて下さいと…。

わたしは、何もしてやれない事がくやしくて、不安で、声を掛ける事しかできなかった。

仕事に行っている主人に早く帰って来てと泣いて電話し、いつもより早く帰ってきてくれた。

モナに指を差し出すと、指に乗ってくれるが、その脚の弱々しい感触を今でも忘れられない。

元気なときの指に乗った重さとは全く違う。

手乗りの小鳥を飼った事がある人ならわかると思うが、指に止まった感触が飼い主にはわかる。元気な時は、ぴょんと乗ってくれる。

でも、モナにはそんな体力は無くなっていた。

片脚づつ、ゆっくり、弱々しく、体重も軽くなっていると分かった。

あまり、触ると体力が消耗してしまうため、鳥籠の外から、声をかけ様子をみていた。 

モナはわたしが声をかける度、わたしの方を見てくれた。

モナのその目は、涙で潤んでいるように見えた。お母さん…助けて…って。

日付が、10月30日に変わった。

わたしはモナの近くで寝ることにして布団を持ってきた。最後に見たモナの表情は少し元気に見えた。わたしは少しだけ安心してしまった。

あの時の顔が最後になるとは…。

きっと大丈夫、朝には元気になってるかも知れないと思った。そして私はモナの近くで寝てしまった。その時間がだいたい0時30分頃だった。少し寝て、パッと目が覚めた。

時間は夜中の3時。鳥籠の中を覗くと、変わり果てたモナの姿があった。床の下に横たわり、少し硬直したモナのからだ。既に亡くなっていた。

死後硬直が多少あったため、モナはわたしが寝たあと、じきに亡くなってしまったと思われる。

最後を看取ることもできず、安心して寝てしまった自分が、なんてバカだと思った。 

モナは、ひとり静かに亡くなってしまった。

できることなら、手の中で、わたしと主人で看取りたかった。 

ごめんね、モナ…。

ごめんねってしか言えなかった。

3時に主人を起こし、2人で泣いた。

モナのからだに布団をかけて、一緒に横になった。

ホームセンターで、鉢とお花を買って、モナのお墓を造った。

モナを失って、自分たちがなんて無知だったんだろうと思い知った。

モナの死を無駄にはしない。わたしは、今いる2羽の文鳥をもっともっと大切にすると約束した。

たった2歳しか生きれなかったモナ。

小さくて、かわいくて、愛しくて、大好きなモナ。

半年経ってやっと、ブログに書くことができた。モナが亡くなってしばらくは胸が空っぽだった。今でも、モナの事を思うと泣いてしまうけど、モナがいた事を忘れたくない。

だから、ブログにもモナの事を綴り、卵管脱への対策も今後書きたいと思う。 

小さくても、その存在はとても大きい。

子供がいないわたしたちには、子供と同じなのだ。あの子たちがいるから頑張れる。

モナとしろとぎん太に会えて本当に良かった。

ありがとう、モナ。